正義が勝つとは限らない – アメリカ大統領選挙

今のうちにSNSで話し合いができる素地をきちんと作っておいたほうがいいのではないかと思う。危機意識はかなり強い。そのためSNS上の議論は選ぶようにしている。マウンティングや自己承認のための議論はスルーするようになった。

日本の政治は全く動いていないどころか後退しているようにみえる。このため日本の政治議論は自己承認が欲しい人たちが甘える場所になっている。だがアメリカは全く異なっている。急速に悪化しているのである。原因はアメリカ版ネトウヨの現実否認の議論である。かつてはalt-rightなどと呼ばれていたが最近はそんな単語も聞かれなくなった。すっかり主流派になってしまったからだ。




ジョージ・フロイドさんが射殺された事件が起きたのは5月の末だったそうだが、ついにアンティファにシンパシーを感じる人がトランプ支持者を射殺するという事件が起きた。ここまで3ヶ月しか経っていない。この対立を背景にトランプ大統領の支持率が上がっており、アメリカは分断の4年を過ごすのかもしれないと思う。普通の神経でこの環境に耐えられるのかということがわからないが、もうこの言論環境からは逃げられない。アメリカで政治議論に参加しようと思えばどちらかの陣営に参加して戦わなければならないといったそんな雰囲気である。当然政策議論などできない。

BLM運動は最初は当事者の真摯な運動体だった。だが状況がエスカレートするにつれて過激分子が紛れ込んだようである。これが運動体をめちゃくちゃにしようとしている。おそらくSNS上のエコーチェンバーに触発される人が出てきたのだろう。

ジョージ・フロイドさんが亡くなった事件がどういうわけかポートランドの警察前封鎖につながる。「自治区」が作られ自治区で人が死ぬ。これが民主党市長がバカだからというトランプ大統領の非難につながり市長が反発する。抗議運動は警察に対する挑戦と受け取られ今度は自衛運動「ブルーライフマター」運動が起きる。その自衛運動に参加している人が銃殺される。どうやら銃殺した人はアンティファに共感した一般市民らしい。そしてその「容疑者」が今度は警察に射殺されたというのである。

おそらく原因はSNSである。この人種差別抗議運動には抗議運動の核になる集団がなかった。例えばマーティンルーサーキングジュニアは自分たちの運動を自分たちで組織した。当然内部に乱暴者が入ってきて運動をめちゃくちゃにすることは避けたかったはずである。ガンジーのイギリスに対する運動も非暴力だった。これも運動体が単なる暴力だという評価を避けるためには有効だっただろう。最終的には一般市民の協力が欠かせないことを彼らは知っていたのである。

ところが現在の運動はSNSを通じて核を持たないままに生まれて核がないままで拡散する。これはイスラム教の抵抗運動がISISなどの運動に広がって行くのとほぼ同じ構図である。イスラムの運動と唯一違っているのは外国の介入がないという点だけである。もしアメリカに武器を持ち込むことができればおそらくこの運動は簡単に内戦に発展したであろうという気さえする。

武器の代わりこの運動はトランプ大統領の介入を受けている。彼は自分の選挙キャンペーンのために運動体をエンドースする。すると運動体は自分たちが愛国者だと思い込む。ついには市民の支持まで集まり始めた。トランプ大統領の支持率がわずかながら上がり始めたのである。

元々は当事者の止むに止まれぬ運動に少数でも暴力的な人が入り込むと運動体全体が否定されかねない。それを作り出しているのは明らかにSNSである。断片的な情報によるエコーチェンバーで情報を得た人たちが思い込みによって運動に参加してゆくという構図がありその運動はSNSによって政治家に捕捉されて燃料が投下される。

さらにこれは人権擁護の姿勢を持っている普通の市民達を疲弊させる。大坂なおみさんがBLM運動を応援した時、こんなものはアンティファが裏で操っているのだとする人たちがいた。ついついそれに反対したくなるのだが、現実にこのような事件が起こると反論が難しくなる。たいてい「人権の守護者達」は孤立無援で戦っているの攻撃に引きずられて敗退することになるだろう。運動体へのオーバーコミットは大変危険である。

人権を持ち出すと「あれは所詮利権屋の飯のタネなのだ」という人がいる。「そんなことはない」と言ってはいけない。そういう人もいるかもしれないが本来の運動とは関係のないことだと言わなければならない。実際にそういう人はいるからである。

背景にあるのはSNSならではの二極化と自己実現・社会承認欲求である。SNSで話し合える空気を醸成しない限りどの社会にも同じようなことが起こるのではないかと思う。それは時に恐ろしい分断を生み出す。そして一旦社会の一体感が失われるとそれを再醸成するにはとてつもない時間がかかる。我々はこの教訓から学ばなければならないし、そのためには世界の情勢に気を配らなければならない。

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