なぜあなたはハブられるのか

夏休みが始まってからしばらく経った。普段の教室から離れ、一学期にあったことを冷静に見ることができる時期かもしれない。

今回は「なぜあなたはハブられるのか」について考えてみたい。そして、どうしたらその状況から抜けられるのかもあわせて考えたい。ちなみに「ハブる」とは仲間はずれにするというような意味だ。

「なぜハブられるのか」を検索すると「あなたに落ち度があるのだから、一つづつ改善して行こう」というような文章が多数見つかる。だが、本当はそれは間違っていると思うし、ひどい誤解が含まれている。

本当に円満な社会は少ない。たいていの社会は緊張に満ちている。日本には「他人を平等に扱う」という伝統がなく、なんらかの序列構造を持っているのが一般的だ。例えば、誰が足が速いとか、勉強ができるとか、お金持ちかとか、序列の作り方はたくさんある。しかし、序列は曖昧で崩れやすい。そして、序列がないと不安を感じてしまう人たちがいる。

なぜ序列がないとダメなのだろうか。それは、社会が様々なことを決める枠組みだからである。これを意思決定という。社会は意思決定の枠組みなのだ。みんなの意見を聞くと、結局なにも決まらないので、序列を作って「強い人のいうことを聞く」ということにしている。誰の家で宿題をやるとか、どこに遊びに行くとか、どのテレビ番組(あるいはアプリ)について話し合うかなど、決めなければならないことはいくらでもある。誰も意思決定しないと何も決まらないから、当然何もできない。

日本社会では意思決定が集団構造になっているのが一般的だと言われている。つまり、何かを決めるリーダーグループがいて、その他大勢がそれに従うという構図である。日本社会では「納得がゆくまでみんなで行き先を話し合う」ということは行われない。日本人は徹底した話し合いを面倒だと思うのである。一方で、一人で全部の責任を引き受けるのも嫌だ。決めたことで何か悪いことが起ると(例えばイタリアレストランにいったのに、ことのほかまずかった)責任を取らされるからである。だから「なんとなく決まった」ことにしたいのだ。

しかしながら、このやり方だと「なぜこの人たちのいうことを聞かなければならないのか」と不満を漏らす人が出てくることがある。その不満を解消する方法はいくつかある。例えば、順番に誰かの言うことを聞く(この前はA君が行き先を決めたら次はB君だ)方法があるが、これはなかなか面倒だ。すると、代わりに「意思決定にも参加できないし、行動も一緒にしない」という人を作るのだ。

  1. 一緒に行動して、意思決定する人たち
  2. 一緒に行動するし、なんとなく影響を与えられるが、意思決定はできない人たち
  3. 一緒に行動できないし、もちろん意思決定できない人

では、なぜそのような人が必要なのだろうか。それは、もともとグループの構造が曖昧であり、なおかつ常に不安を抱えているからということになるだろう、この3カテゴリーの人たちが「ハブられる」人だ。

さて、そのように考えてくると、ハブられる原因は集団の側にあって、ハブられた人たちの問題ではないということが分かる。つまり、何か努力をしたからといって仲間に入れてもらえるということはないのである。逆にその集団から離れてしまうと「見せしめ」の効果が薄れるので、ターゲットが別に移る可能性もある。しかし、それも集団側の問題なので、あまり期待はできない。

あなたのせいではないのだから、「努力してなんとかしよう」とは思わないほうがいい。

厄介なことがいくつかある。第一のポイントは「ハブられる」ことには表面上の理由があるということである。実際は「見せしめにできるなら誰でもよかった」わけだが「あの時ああ言ったから仲間はずれになったのかも」とか「誘われたのに行かなかったから」などと思い当たる節がいくつか出てくる。すると、この表面上の理由をくよくよと考えてしまうのだ。

次のポイントは「みんなが仲良くしなければならない」という思い込みだ。そもそも「意思決定ができない」のにみんなでつるんでいるのは「みんなが仲良くしなければならない」という思い込みがあるからだろう。バラバラなのだったら、最初から自分だけで好きなことをすればいいのだ。特に女性は「仲良くしなさい」と言われることが多いので、このようなプレッシャーが強い。

しかし、よく考えてみると「どうやって仲良くするのか」ということを教えてもらった人はそれほど多くないのではないだろうか。また女性は「リーダーになってグループをまとめるような役割」は期待されないので「なんとなくみんなのいうことを聞きながら、全員一致で何かを決める」ということになりがちだ。しかし、それは無理難題である。だから、手っ取り早い方法に走るのだ。それが「仲間はずれ」を作って、まとまるという方法である。仲間はずれは道徳の破綻なのである。

いちばん厄介なのが「とにかく仲良くしなさい」という先生だ。数学が分からないのに「とにかく100点を目指せ」というのに似ている。先生はクラスで問題が起ると責任を取らされるので、何も問題を起こしたくない可能性が高い。この場合先生が「介入」するとさらに厄介になるだろう。

さて、ハブられた人は「自分だけが仲間はずれにされた」と思いがちである。中にはそれが嫌で自殺を考える人も出てくるくらい孤立することがある。しかし、実際にはこうしたことはよく行われている。大人になったら解決するということもない。

例えば政治の世界でも、同じようなことが日常行われている。何が決まったということよりも、誰が誰とお友達で、誰が仲間はずれにされたというようなことが記事の中心になっていたりする。

大臣が1年ごとに交代するのは「みんな平等に大臣にして上げなければならない」という思い込みがあるからだし「首相と仲良しだから早く大臣にしてもらえた」と書かれることも多い。

さらに「仲間に入れてもらえなかった」と恨みを募らせて大騒ぎする人たちもいる。外で仲間を募って復讐を果たす人もいるし、Twitterで相手の裏話を暴露する議員もいたりする。

また「全てあいつらが悪い」と思い込むことによって、うまく行っていない現実から目をそらすということもよく行われている。

こうした現実はあまり慰めにはならないかもしれないのだが、外から見ているととてもくだらないことに思える。重要なのは「政治は下らないなあ」と思うことではない。外から見ているとたいての人間関係のごたごたはくだらないことばかりなのだというのを知ることだ。つまり、クラスの人間関係だけが人生の全てではないのだ。

 

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