防衛省日報隠蔽問題の経緯

布施祐仁さんの書いたレポートを読んだ。布施さんは当事者なのでいろいろ細かく書いているのだが、はたから見ているといつ誰が何をしたのかがよくわからない。そこでできるだけ判断を入れずに時系列でまとめてみることにした。とはいえ一つの記事でまとまっているものがない。そこでいろいろつぎはぎしてきた。するとなぜこんなことが起きたのだろうなどと思えてきた。遡ると、小泉政権以前に原因があることがわかってきた。

1980年代の日本は経済定期に成功していたので「その成功分の貢献をしないのはおかしい」という国際的なプレッシャーがあった。しかし国内の論争は第二次世界大戦の頃の対立を引きずっており「現状を維持して何も決めない」のが国是だった。岸内閣時代の苦い記憶のせいかもしれない。

もしかしたら間違っていることがあるかもしれないので、随時ご指摘いただきたい。とはいえ、本来これはジャーナリストの仕事ではないかと思う。


1990 イラクがクウェートに侵攻し湾岸戦争が起きた。日本は国際世論から人的支援を求められたが憲法の制約上応じることができなかった。代わりに130億ドルの経済支援を行ったがクウェートをはじめとする国際社会から感謝はされなかった。この経験はクウェートのトラウマと呼ばれており、外務省を中心に国際貢献の必要性が叫ばれることになった。その後、日本は内閣と外務省が「人的貢献」に向けた実績作りを行うことになる。これは具体的には自衛隊のPKO派遣を意味したが防衛庁は部外者だった。(nippon.com

当時、アーミテージ国務副長官から「ショーザフラッグ(旗色を鮮明にせよ)」という圧力があったとされる。そのため政府首脳部は「テロとの戦い」を名目にして自衛隊を海外派兵する実績作りを模索するようになる。イラク復興支援で小泉首相が自体隊の海外派遣に前のめりだったのはこうした国際社会(特にアメリカ)からの圧力があったためと考えられる。

2003 小泉首相は大量破壊兵器が見つかったというアメリカの声明にいち早く支持を表明した。のちに大量破壊兵器はなかったことが判明している。さらに、復興支援への自衛隊の派遣を推進した。これが現在までつながるPKO派遣の端緒となっている。当時の小泉首相答弁をNewsWeekはこう伝えている。結局2018年になってイラクの復興支援で自衛隊が戦闘状態に巻き込まれていたことがわかるのだが10年以上この事実は隠蔽されたままだった。

2003年に国会で「イラクで戦闘がない土地などあるのか」と追及された小泉首相(当時)は「自衛隊の派遣されるところが非戦闘地域」と豪語。しかし、当時のイラクでは外国軍隊へのテロ攻撃が相次ぎ、自衛隊が派遣された2003年、2007年に限っても、米軍だけで、それぞれ486人、904人の死者が出ています。この背景のもと、自衛隊の活動は短期間のうちに終了しました。

2011/8 民主党政権時に国連の要請を受けて菅直人総理大臣が派遣を決定。野田佳彦総理の時に派遣が始まる。最初は2名の調査派遣だったと朝日新聞が伝えている。

朝日新聞によると、わざわざ首相官邸に出向いたパンギムン国連事務総長からの要請を受けた菅直人首相が支援を表明し、野田政権になってから「調査団を送る」という約束をした。朝日新聞はその後の軍事的支援について心配しているのだが、野田首相がどのような心づもりで調査団の覇権を約束をしたのかは見えてこないし、その後本人からの回顧もない。自民党がある程度の戦略的意図を持っていたのに比べると、民主党の対応は場当たり的な印象が強い。

そもそも最初はアメリカを中心とする国際社会への「お付き合い」として構想されたPKO派遣だが、民主党政権下では米国主導ではなく国連主導の平和維持活動への協力として意識されていた可能性がある。あるいは「国連だったらよいか」と思われていたのかもしれない。しかしながら米国追従傾向の強い安倍政権下で南スーダン覇権がどのように位置付けられていたのかはわからない。

日本は小泉政権下で間違った情報をもとにアメリカのイラク侵攻を支持していたことを総括しておらず、南スーダンへの派遣がどのような意図でなされたのかという総括もない。「戦争反対」という声が大きいので、とにかく前例を利用して既成事実を拡大しようとする傾向が強い。そもそも根強い戦争反対論も第二次世界大戦や日米安保の自発的な総括がないところから始まっていることから、過去の記録を振り返らないことが話をこじれさせていることがよくわかる。

2012/12 民主党が選挙で大敗北を喫し、第二次安倍内閣が成立した。

2013/12 南スーダンの戦闘が激化する。その後も戦闘地域は広がり続け、ついには「比較的安全な首都のジュバ」にも危険が及ぶようになる。Yahooニュースが伝えるところによると、この時に撤退することもできたのだが、安倍政権は集団的自衛権の行使容認のための方策を模索しており、実績作りするために南スーダンのPKOを利用しようとしていたのか、それとも単に南スーダンの状況を過小評価していただけなのかはよくわからない。今の所「防衛省が報告をしなかっただけ」で知らなかったことになっているのだが、報道あったので「全く状況を把握していなかった」とは考えにくい。

一方、南スーダンでは2013年12月に内戦が発生。その直後に菅官房長官は「自衛隊の駐屯地周辺は概ね平穏」と発言。その後も、現地の日本人ボランティアが「自衛隊の駐屯地は首都ジュバのなかで最も危険な場所にある」と報告するなか、稲田防衛相(当時)が駐屯地周辺の状況を「戦闘」ではなく「衝突」と表現するなど、政府は危険を過小評価し続けました。結局、2017年3月に政府は「当初の目的を達した」と自衛隊の完全撤収を発表しましたが、その後も南スーダンでは内戦が続いています。

2014/7/2  集団的自衛権の閣議決定が行われる。毎日新聞 はこう伝えている。この後、国論を二分する安保法制論争が始まる。いったん解釈によって集団的自衛権の行使を容認したのだが、2017年になって首相が憲法改正によって自衛隊を憲法の中に書き込むべきだと提案した。これを契機にして自民党の中で憲法改正議論が行われるようになった。

政府は1日、臨時閣議を開き、憲法9条の解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認すると決めた。集団的自衛権は自国が攻撃を受けていなくても、他国同士の戦争に参加し、一方の国を防衛する権利。政府は1981年の政府答弁書の「憲法上許されない」との見解を堅持してきたが、安全保障環境の変化を理由に容認に踏み切った。自国防衛以外の目的で武力行使が可能となり、戦後日本の安保政策は大きく転換する。

2015/8 この年の夏には各地で戦争法反対のデモが起こるが安保法案は成立した。安倍首相は「日本人を守るために法整備したのだ」と説明し続け、自衛隊に危険が及ぶことはないとも言っていた。自衛隊の安全確保義務が法律に書き込まれているとHaffinton Postの記事は解説している。シビリアンコントロールの中には「自衛隊の安全確保義務」も書かれている。つまり軍隊ではないと解釈されている自衛隊が「戦闘状態に巻き込まれた」と報告しているのに何もしなかったというのは、法律違反であり、そのまま憲法違反の可能性があるということになる。

また、安倍首相も(2015年)5月14日の記者会見で、自衛隊員の安全確保は「当然」として、「例えば後方支援を行う場合には、部隊の安全が確保できない場所で活動を行うことはなく、万が一危険が生じた場合には業務を中止し、あるいは退避すべきことなど、明確な仕組みを設けています」と発言。

2016/7 南スーダンで大規模な武力衝突が起こる。しかし、日報に武力衝突という言葉が使われていたために憲法第9条との矛盾を突かれると困ると考えた稲田大臣は戦闘を武力衝突と言い換えてきた。稲田防衛相の日報隠蔽疑惑、「瑣末な話」が大事件化の事情…日報問題の隠れた本質

 南スーダン国連平和維持活動(PKO)に派遣されていた陸上自衛隊の部隊が、昨年7月に政府軍と反政府軍の間で戦車、ヘリコプター、迫撃砲も使い、300人以上の死者が出る大規模な戦闘が起こった際、「戦闘が生起した」という正確な情報を中央即応集団司令部(相模原市座間駐屯地)への「日報」(日々の状況や行動の詳細報告)で伝えていた。

2016/9 現地からの情報を掴んでいたジャーナリストが南スーダンの日報の情報開示請求を行う。この時点では日報はネットワーク上に残っていたようだ。これ以降の記録は主に安倍首相は本当に「陸自の日報隠し」を知らなかったのかによるが、他の資料も補足に使っている。

この頃すでに成立していた法律による「駆けつけ警護」の訓練が始まろうとしていた。毎日新聞の調査によると反対している国民は48%と無視できないほどだったが、安倍政権はなんらかの意図を元にした実績作りのために法案成立後の実績作りに前のめりになっていた。この記事によると駆けつけ警護が行われるのは11月からの予定だった。当時の説明では南スーダンでは武力衝突は起こっているものの戦闘状態とまでは言い切れない上にジュバは比較的安全なので自衛隊に新任務が付与されても大丈夫だと説明されていた。だが、実際にはジュバにも危険が及んでいたのである。

日報を見るとそのことはわかっていたが、その日報を稲田大臣と安倍首相が知っていたかがまだわからない。知らなかったとなると自衛隊が自主的に状況を報告していなかったことになり「文民統制」上の問題になる。文民統制違反は憲法違反となる。(AERA.dot

このため戦後は新憲法で軍人は閣僚になれないとし、自衛隊法で最高指揮官を首相と定めるなど文民統制を掲げた。自衛隊を管理する防衛庁を設け、官僚(背広組)が自衛官(制服組)に優越する「文官統制」の仕組みも作った。それは軍令にも及び、防衛庁設置法では防衛庁長官の命令を背広組幹部が「補佐する」とされた。自衛隊が有事や災害で動く際の指揮内容を背広組が仕切る形だった。

一方で知っていたとなるとやはり政治家と背広組が法律にある自衛隊の安全義務違反違反だったことになる。これは戦闘状態に巻き込まれると自衛隊が軍隊だったということになってしまうということを意味しており憲法違反になる可能性が高い。

2011/10/11 安倍首相は政府軍と反政府の間で衝突は起きたが戦闘ではないと答弁。(Huffinton Post)この時に内戦とは国や国のような組織(国準)の間で起こる活動であると解釈し、南スーダンの活動はこれには当たらないと説明していた。この時点で防衛省から首相や防衛大臣に報告が上がっていたのかはわからない。

稲田氏は「戦闘行為とは、国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷しまたは物を破壊する行為」とした上で、南スーダンの事例は「こういった意味における戦闘行為ではない。衝突であると認識している」と回答。これに対し、大野氏は「戦闘ではなかったのか」と再三にわたって質問。途中、審議が中断する場面もあった。

稲田氏に代わって答弁に立った安倍首相は、「武器をつかって殺傷、あるいは物を破壊する行為はあった」とした上で、「戦闘をどう定義づけるかということについては、国会などにおいても定義がない。大野さんの定義では”戦闘”となるかもしれないが、我々は一般的な意味として衝突、いわば勢力と勢力がぶつかったという表現を使っている」と発言。あくまで、戦闘行為ではなかったという認識を示した。

2016/11/19 JB Pressによると駆けつけ警護を任務とする第十一次隊が派遣される。

2016/12 ジャーナリストに日報は廃棄してしまいなくなってしまったという報告が戻ってくる。布施さんによると実際に日報が廃棄されたのはそのあとだそうだ。のちに小野寺大臣にあがった報告ではローカルのハードディスクなどに残っていたことがわかる。

この不開示に誰がどのように関わったのかは不明。つまり、安倍首相や稲田防衛大臣が国会が紛糾するのを恐れて防衛省に不開示を指示したのか、あるいは防衛省が勝手にやったことなのかはわからない。

現在の「文民統制」とは報告書をあげていたかそうでなかったかという議論なのだが、実際には危険状態を誰が認識しておりどういう判断で派遣を継続したのかという問題の方が重要である。さらに、危険があるということを認識しながら任務を拡大したことに対する是非も議論されるべきであろう。

2017/1/17 岡部陸上幕僚長は南スーダンの日報があることを知っており、統合幕僚の辰巳統括官にその旨を報告していた。

2017/1/24 安倍首相が日報(全般)は報告のための文書であり公的文書の管理記録に従って廃棄されたと答弁した。安倍首相が日報が実際に存在しているということを知っていたかどうかは不明。

2017/1/27 辰巳統括官は黒江事務次官に南スーダンの日報問題について相談。すでになかったことになっているので見つかったものだけをあったというようにとの指示を行ったとされる。

2017/2/7  南スーダンの日報はすでに陸幕が廃棄したと言った手前統合幕僚監部で見つかった形にしようと判断し、背広組が稲田大臣にそう伝えた。

2017/2/13 幹部との間の会合で稲田防衛大臣「なんて答えよう」と発言したという記録が残っている。稲田大臣は「戦闘と言ってしまうと第9条との間で問題が起こるから戦闘とは言えない」と答弁して辞任を要求された。安倍首相は応じなかった。

2017/2/15 南スーダンでの記録も残っていないので、イラク復興支援の日報について問われて「こちらも廃棄した」と言わざるをえなくなった。稲田防衛大臣も含めた会合が行われ、黒江事務次官が「なかったといったものをあったとは言えない」と発言したとされる。

2017/2/16 今度はイラクの日報が本当にないのか野党が防衛省に問い合わせ。辰巳統括官は捜索の必要があると認識。(イラク日報についての経緯は毎日新聞の記事による)

2017/2/20  イラクの日報の問題で稲田大臣が「残っていない」と答弁。

2017/2/22「本当にないのか」と稲田防衛大臣が辰巳統合幕僚監部統括官に尋ねた。担当者はメールで3部署に確認したが「捜索したがなかった」と回答をしてきた部署の報告だけをあげて「探していない」部署については確認しなかった。

2017/3/27 教訓課でイラクの日報が発見されたが報告はしなかった。

2017/5 南スーダンからの撤収が決まる。Huffinton Post)の記事によると、政府は「危険だから」ではなく「任務が完了したから」撤収したと説明した。

安倍晋三首相は撤収する理由として、「自衛隊が担当している(首都)ジュバにおける施設整備は一定の区切りをつけることができる」と述べた。ジュバでは2016年7月に大規模な銃撃戦が発生するなど、南スーダンの悪化している治安情勢を考慮に入れた可能性もある。

2017/7/27 特別防衛監察の報告書が出る。防衛大臣が具体的な指示を出した可能性はあるが、照明はできないとした。この時点で黒江事務次官が主導して隠蔽を指示したとされた。責任をとって、防衛省のトップが辞任。稲田防衛大臣は事実上の更迭と伝えられている。

2017/7/28 当時の稲田朋美防衛大臣、黒江哲郎防衛事務次官、岡部俊哉陸上幕僚長の3人が揃って辞任した。(ニコニコニュース

2017/11 日報の実態把握調査が小野寺防衛大臣の指示のもとに始まった。(nippon.com

2018/3/7 三原文書課長はこの時点でイラクの日報があったことを知っていたが、他にいろいろと忙しいことがあったので小野寺大臣には報告しなかった。(JIJI.com

研究本部は1月12日、陸幕衛生部が同31日に、それぞれ陸幕総務課に日報の存在を連絡。陸幕は2月27日に統幕へ報告した。小野寺氏への報告が3月31日にずれ込んだことについて、防衛省関係者は「防衛相への説明や国会質問に耐えられるようにするため時間がかかってしまった」と釈明している。

2018/3/28 18年度予算案が可決され、国会で追求される可能性がなくなった。(毎日新聞)しかしながら、予算案成立の過程では森友学園をめぐる決済文書の改竄問題が取りざたされ、首相夫人の関与を巡り証人喚問が行われた。このため、その他の文書改竄や隠蔽が露見すれば政権の存続すら怪しいのではないかという雰囲気になっていた。その後、加計学園問題で首相官邸の関与があったらしいという証拠が見つかっている。

2018/3/31 防衛省によるとこの日になってはじめて小野寺防衛大臣に「日報があった」という報告がなされたとされている。

2018/4/9 安倍首相が日報が見つからなかったことに関して陳謝した。

2018/4/14 2004年に小泉政権下で実施されたイラクの日報にも戦闘の文字があったことが確認された。(朝日新聞)また、シリアが化学兵器を使ったとしてアメリカが大規模な攻撃を行った。国連による調査は行き詰っており調査団の活動期限もすでに切れていた。今回の攻撃では数百人規模のロシア人が亡くなっているという報道もあり、ロシア政府は国連に抗議したが抗議声明は否決された。安倍首相はいち早くアメリカに支持を表明した。(Blogos)トランプ大統領のシリア政策は支離滅裂であるという観測も出ている。(NewsWeek)ロシアとの親密な関係を強調するが、シリア攻撃でロシア人も殺しているからである。

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自衛隊の日報隠しがなぜいけないのか理解できなかった……

今日の話はちょっと気が進まない。普段わけ知り顔で得意そうに政治について書いているのに、今回は自分があまり賢くないということを示しているだけのエントリーになってしまうからだ。

実は自衛隊が日報を隠したことがなぜいけないことなのかがよくわからなかった。よくわからなかったので興味がわかず、あまり取り扱ってこなかった。

この疑問を解決するためには解決しなければならない二つの要素がある。一つは日本の防衛戦略に関する基礎的な理解である。これについては別に書くかもしれないのだが、要約すると次のようになる。

日本は国民の理解を得ながら防衛戦略を推進するしかない。変化の多い環境では「一人のリーダーが独占的に意思決定する」か「みんなが納得して意思決定してゆく」という二つの選択肢しかない。北朝鮮は前者を取ったわけだが、いったん国際社会に組み込まれてしまうと今度は経済的競争という「平和な戦争」が始まり、やがて労働党独裁では対処できなくなるだろう。中国のように限定的な解放という戦略は狭い北朝鮮では取れない。

ということで、この文章には日本は国民に理解してもらいながら権限を委託してもらうしか生き残る道がないという前提がある。これは民主主義が美しいから民主主義社会になるべきだというお話ではないし、武器を取るとやがて全面戦争になり地球が滅びるというようなお話でもない。一方で、自民党の強いリーダーシップと長い民族の歴史があればおのずと世界から尊敬されるというようなお話でもない。

そもそも、日報って何だろうと思った。何だかわからないので身近なものに例えようと思って題材を探した。最初に思いついたのはプログラミングだった。外付けハードディスクに日報の断片があったということなので素人プログラミングと状況が似ているなと思ったのだ。チームでプログラムをやる場合、当然ながら勝手にローカルにコピーして保存してはいけない。チーム内で共有しているプログラムが持っている変更を常に引き継いで行かないと思わぬバク担ってしまうからである。

しかし、この例は無理がある。森友学園の文書改竄問題のような契約書や決済文書の場合ローカルコピーが様々なところにあるのは問題だが、日報はそのようなものではないからである。このプログラミングのメタファーは日本人が協力できないということを考えるには重要なのだが、今回の例には当てはまりそうにない。

次に考えたのは日報が「トランザクションデータだ」というたとえである。つまり、最終成果物を作るために必要な材料というわけだ。この線で考えてゆくとすぐにそのヤバさがわかった。

「トランザクション」という考え方はコンピュータシステムを嗜まない人にはあまり馴染みがない概念かもしれないので「明細」と言っても良い。つまり日報は最終レポートを作るための原材料だ。

例えばフレンチレストランで食事を楽しんだあとに、ワインでふらふらになった頭で請求書をもらっても、明細は確認しない。これは私たちがお店を信頼しているからである。お店を信頼しているからこそ安心してへべれけになれるのだ。だが、あとになって支払いを思い起こし「過剰請求」されたのではないかと考えたとする。慌てて店に電話したところ「いや、もう明細は残っていないんですよね、そういう決まりなんで」と言われたらどう思うだろうか。多分「ぼったくりだ」と直感するに違いない。

日報は途中成果物なので最終レポートがしっかりしたものであれば特に見る必要はない。しかし仮に疑念があった場合には日報を取り出して「ちゃんと現地の情勢は反映されていますから」と説明しなければならないし「なんならご覧になりますか」と言わなければならない。

レストランの例で説明するとわかりやすいのだが、日報などと言われて「これは法令や省令で保存しなくてもいいということになってるんですよね」などと説明されると、法律じゃ仕方がないなと思ってしまう。稲田前大臣は「請求書は絶対に正しいし、その明細は捨てた」と言っているようなものなのであり、これは無理筋の説明だ。

ここまでドヤ顔で書いてきたが、多分みんなこれがわかっていて騒いでいるんだろうなと思った。新聞を読んでいる政治通の人たちもこれがわかっているんだろう。自分だけが理解していなかったわけで、ちょっと恥ずかしい気分になった。

途中成果物と最終成果物は不可分なので、最終成果物が取ってあるから途中成果物は捨ててもいいという理屈は成り立たない。明細を見せられないということは少なくとも不誠実の証だし、決まりにより捨ててもいいなどというのは、最初から騙す気満々だったということになる。レストランの例でいうと日本政府はぼったくりレストランなのだ。

しかも「何が何でも騙すぞ」と思っていたわけでもなかったらしい。財務省の例を見て「あとで問題になったら誰かのクビを差し出さないと収まらなくなるぞ」とビビったのだろう。ぼったくりレストランとしての覚悟もなかったようだ。

例えば新聞社は記事が最終成果物なので途中成果物は捨てても構わないとは主張できない。確かに取材源の秘匿という問題があり、普段は表にださないのかもしれないのだが、何か疑念があった時には取材メモを出さなければならないだろう。加えて別のところから「実は結論と違った事実を掴んでいた」というような話が出てきたら読者はどう思うだろう。多分、その新聞社は潰れてしまうか世間から叩かれるのではないだろうか。

さらに、調書も途中成果物である。普段はこれをおおっぴらにすることはないのかもしれないが、もしどこかから犯人を有罪にするためにはあってはならない調書が出てきたらどうだろうか。間違った情報だけで有罪判決を出してしまったとしたらその裁判はやり直しになるだろうし、警察は大いに責められるはずである。調書が判決の基礎になっているからである。

調書に関しては刑事事件として刑が確定したものに関しては情報が開示されるという法律があるそうだ。不起訴になった場合には開示されないともいう。

これらのことを考えていて、日報が隠蔽されていたということのヤバさがわかったのだが、一旦理解できると「なぜみんなもっと騒がないのだろう」と思えてくる。よくわからないが一部の人たちが騒いでいるだけなので「あの人たちは政権が欲しくて言っているんだろうな、お気の毒さま」と思っているのかもしれない。

さて、最初のややこしい話に戻る。日本は防衛戦略として「国民の理解を得ながら防衛政策を進めてゆくより他にない」というちょっと硬い話である。この部分はいったん文章を全部書いたあとに付け足した。なぜかというと結論が書けなかったからである。

日本人にとって民主主義は儀式(リチュアル)にすぎないのだから防衛文書が隠されていても儀式さえ滞りなく終わればそれで良いようにも思える。フランスのジャーナリストには「民主主義のお芝居をしている」と書かれているそうである。この人は紳士なのだろうがこれは皮肉ではない。多分事実だ。

政府も官僚も国会も司法もメディアも国民も、日本の民主主義を構成するすべての人たちが表面上はそれぞれの役割を果たしているように見えて、実際には「民主主義というお芝居」を演じているだけなのではないか?という皮肉すら言いたくなってきます。(ルモンド特派員 フィリップ・メスメール)

お芝居でも国は動いているわけだからそれでもいいじゃないかという見解は成り立つ。だがこれが成り立つのは固定的な環境があって、そこに順応するストーリーを時間を書けてでっち上げられる場合だけだ。現実の国際情勢は刻一刻と変化し、アメリカ大統領までもが「日本はアメリカの防衛戦略にフリーライドしている」といって拍手喝采されるようになってしまった。隣の国は核兵器を持とうとしている。この状況に対応する唯一絶対の正解があるという人がいたらその人は十中八九大嘘つきだろう。

こうした情勢の変化を受けて意思決定しなければならないことは増えてゆくはずのだが、その度に「センソー(何の戦争かはわからないけどとにかく「センソー」)ハンタイ」というデモを起こされて国会が止まっては困るのだ。だから、軍が関与する国際情勢上の変化はありのままに伝えられる必要があり、その意思決定はお芝居や儀式では困るということになる。そしてそれは防衛だけでなく経済にも影響が波及する。経済競争は多分「平和な戦争」である。

この点について考え出すとかなり長い文章になりそうなので、今日はここまでにしたい。今日の結論は日本政府は、意気地のないぼったくりレストランだということである。

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稲田防衛大臣と文脈の奴隷

いじめ問題についてみている。多分議論のゴールはいじめで死ぬ子供をなくすことなのだが、千葉市教育委員会の人と話をして考えこんでしまった。生徒や保護者の中には「学校にいじめを認めさせたいだけ」と考える人がいるのだそうだ。もちろん、この話は納得できる。報道でも「学校にいじめを認めさせたい」というだけで両親が奔走するケースがあるからだ。

なぜ学校がかたくなにいじめを認めないのかというと、それを認めてしまうと学校と教育委員会の管理責任という問題が出るからである。つまり解釈によって事実の意味づけがまったく変わってしまう。そこで千葉市の担当者は「いつも想定外のことが起こる」と言っていた。人間関係の問題なのですべてイレギュラーケースなのだろうが、役人は事前に規定してすべて管理できると思ってしまうのだ。

この裏には担当者の責任の希薄さがある。もともと先生に権限と責任感があればこうした問題が起こるはずはない。しかし現場の先生の意識は希薄化している。しかし、現場の意識付けをせずに(多分こういうと研修をやっていますなどと言うのだろうが)規則や制度でカバーしようとするのだ。そのために千葉市の「いじめ防止マニュアル」はとても複雑なものになっている。

文脈と意味づけが重要なので、家族はマスコミに訴えて文脈の構成を変えようとする。メンバーが変わると意味づけが変わる。横浜のケースはこの意味付けを当事者がコントロールできなくなった事例である。Twitterが意味づけ決め、教育委員会の独立性を無視して盛り上がってしまった。

ここらでふと考え込んでしまったのは「子供の苦痛」とか「その延長線上にある死」というものが、解釈によって変化しうるだろうかいう問題だ。

個人的には変化はしないだろうと思う。死という現象は変わらず、その意味付けが変わるに過ぎないと思うからである。いわゆる「文脈費依存」なのだが、これは少数派の考え刀のではないかと思う。

だが、死がいじめによる自殺だと認められないと「その子供の死が犬死になる」と考える人は多いのではないだろうか。つまり、現象より意味づけのほうが重要だという文脈依存の考え方だ。

日本人には合理的思考はできないというと悲観する人が多いと思うのだが、これは文脈が構成要因やその場の雰囲気やメンバーの範囲、数によって変わりうるからである。事象だけに注目すると合理的に考えやすい。ただそれだけのことである。だが、それができない。そこで範囲を限って文脈を固定しようとする。これが「隠蔽」だ。

さて、の文章を書こうと思ったのは、まったく別のニュースを見たからである。稲田防衛大臣が「戦闘行為だと認めてしまうと憲法第九条に抵触しかねないので、衝突と言った」と答弁したとして大騒ぎになっている。これも意味づけ(解釈)の問題だ。

安保法制を作るにあたって、まず政府は官邸で文脈を作ったのだろう。しかしそれは国民には理解されないことはわかっていた。想定外の衝突が起こる可能性を排除してストーリーを守った。しかし、その事態(武力衝突でも戦闘でもどうでもいいのだが、要するに武器で人が殺される可能性である)が起きてしまった。そこで「隠す」事に決めたのだろう。

解釈の問題は、現場の兵士自衛隊員の安全にはまったく関係がないのだが、国会ではこれだけが大問題になっている。もし、戦闘があったとすると、自動的に危険な区域に自衛隊員を送ったことになってしまう。すると政府の責任問題になる。だから「衝突です」と言った。

このまったく関係がない二つの案件に共通するのは「解釈」だけが問題になり、現場(自衛隊とか子供とか)のことは省みられないと言う点だ。国会は自衛隊員の安全については議論しておらず、教育委員会はいじめについては議論していないということになる。だから、問題は何も解決しない。

そもそも法律には目的というものがあるはずなのだが、その目的については誰も関心を寄せない。そして、いったん意味づけが決まってしまうとそれを覆すのはとても困難だ。いじめられて子供を亡くした親は「世間はそれを認めてくれない」といいつつ孤独な戦いを強いられることとなる。それを認めさせる戦いをしているうちに、疲弊して当初の目的がわからなくなる。次の自殺者が出て、教育委員会が頭を下げるか下げないかということを議論することになる。この繰り返しだ。自衛隊でも同じ問題が起こるだろうが、もっと念入りに隠蔽されるのではないか。

しかし、教育委員会が頭を下げたところで子供が生き返るわけではないし、誰に責任があるかによって恐喝をやめる子供などいないのだ。

稲田さんがなぜあのような答弁をしたのかはわからない。個人的には河野太郎さんがなぜこのタイミングで資料を「発見」したのかが気になる。散々「危険性はない」と言わせておいて、資料が出て「ほら危険を認識していたではないか」ということになれば政権が危機に陥るのは明白だからだ。つまり内側で文脈を破壊する行為が行われていることになる。あるいは役人が破壊工作をしているのかもしれないが、派閥の再編などが加速しているようだし、背景に何らかの動きがあるのかもしれない。

安倍首相は稲田防衛大臣に答弁を続けさせるべきだろう。最近彼女は場面場面で相手が聞きたいことをいっていたという主張を始めている。政治生命は終わったと言ってよい。これがボスである安倍首相に類焼しない(彼が言わせたのではなく、稲田さんが勝手に言ったことにする)ように、食い止めつつそこで炎に焼かれるべきなのであろう。彼女の解釈能力が失われると、政権の文脈生成能力自体が空白化し、誰も政権の言うことを信じなくなる。日本のような文脈依存世界ではこれは社会的な死を意味する。

と、同時に見ていた私たちも、去年の夏にいったい何をしていたのかを思い返してみるとよい。際限なく無意味な言葉遊びに興じているうちに、憲法第九条の意味とか、平和国家として再出発してから成功を収めたことの意味をまったく忘れていることに気がつくのだ。

われわれは等しく文脈の奴隷なのである。